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平成6年1月1日、第73回全国高校ラグビー大会
長崎北 X 秋田工業
歴史を創ったフィフティーン

 

長崎県立長崎北高等学校ラグビー部沿革

北高ラグビー部は、昭和43年(3回生)のラグビー好きの生徒が数人集まって、グラウンドのすみで始めたのが起こりだと聞いている。翌年、昭和44年(4回生)の時には同好会になり、その年の高総体ではベスト8まで進出した。さらに翌年の昭和45年(5回生)の時についに部に昇格、その年もベスト8に進出した。
  昭和49年(9回生)の時に 故・西野忠文 前監督が赴任、平川純一 現長崎県ラグビーフットボール協会会長と共に北高ラグビー部のレベルアップに尽力された。その後、長崎北は県の強豪となり、ベスト4まで勝ち進むも、その壁を破ることは容易なことではなかった。
  ところが昭和58年(18回生)、全国レベルの強豪目黒高校との合同合宿でレベルの違いを痛感、その後の練習態度が一変したとか。
  このようなラグビーへの取り組みが、『伝統』として今の後輩達にも受け継がれているのであろう。
  こうした努力がついに実り昭和61年、62年と花園に連続出場、昭和63年(23回生)には
監督が故・西野忠文氏から緒方広道現監督に交代、この年も奇跡の逆転で花園へ3年連続出場、北高の第一期黄金時代であった。
  それからはしばらく花園への道は遠ざかったが、5年後の平成5年、4回目の花園出場を果たした。ノーシードながら清真学園、黒沢尻工業を撃破して、念願の正月を花園で迎えた。その勢いはとどまらず全国制覇15回を誇る秋田工業を降し、8強に進出した。さらに、準々決勝の相手は、優勝候補の大阪工大高校。激しいタックルで1度のリードも許すことなく完勝。準決勝で東京農大二高に惜敗したものの、全国3位という素晴らしい成績を収めたそれから7年、花園への切符を毎年惜しいところで逃していたが、平成12年(2000年)、ついに悲願の花園へ出場。一回戦の愛知県代表西陵商業戦を劇的逆転勝ちで飾る。2回戦、東海大仰星に敗れるも、最後まで攻めの姿勢を貫き通した有終の美であった。
その後新チームにバトンは託され、花園に向かって日々練習に明け暮れている毎日である。